先日の地元歴史文化の勉強会で

お題「泣きそうになった瞬間」

学ぶってこういうことなんだ、と涙が出そうになった.

畑仕事に勤務先の掃除、作業ばかりで言葉を失いそうだ、と思った一年前.

景色が変わるといいな、と放棄農地を開墾し始めたものの、

荒れただけのような掘っただけのような、、と

これも心の風景かも、とあきらめていたところだった.

 

松くい虫で毎年被害に遭う松林を、騎馬の合戦の頃の絵巻物に描かれた黒松を

ヒントにして、この当時の松林を蘇らせるのだ、と文献、古文書や地域誌から探し当てたお話,絵巻物や、当時の村の人々がその山に対してどのようなことを施したのか、

山や川や叢もみな公私の別なく共有の財産だ、と6~7世紀ごろの一文から、

自然への哲学を仏教、キリスト教神道の自然への考え方まで比較してそれでも

尚変わらずに日本人にあるのはこういう思想だ、というお話だった.

 

自然は空気と水のようにタダのように思われているけれど、

昨今の豪雨災害の被害額は凄まじい.

壊れてしまったものを、もとに戻すのには、とにかく人の力がいる、人の力を借りるにはお金がいる、でも人を動かすにはお金ではなくて、私たちの財産なんだ、と松林のことを先祖のものに限らず、自分のものだ、と恩恵を受けていることを自覚することから始まる.

 

どうして泣きそうになったのか、

昨日88歳で亡くなられた大江健三郎さんのNHKアーカイブのラジオ番組4時台の中に

人の考えで動く機械になっちゃだめだ、という言葉の中にあったように思う.

 

何よりも、古典や漢文を高校時代大好きにさせてくれた故藤山先生,

もののあはれ が私も少しはわかる年になったのかもしれません.

 

 

#大江健三郎♯松林♯松崎文庫♯地域誌